エゴのない命の扱い方

先日ブログを書いたので、今日辺り、どなたか見に来てくださっているといけないので、書きますね♪

 

アリが死んじゃうときに、

「私の人生が〜〜!!!」とならないのは、誰しも想像つくことと思います。

まぁ(前回に引き続きw)人間の勝手にですがね。

 

それもまた不思議ですが、自分という生き物が何もなくなってしまうことが、人間というのは、本当に恐いんですね。自分が生きた証がほしい・・自分がいなくなった世界とは一体どうなるのか?(どうにもならないんじゃないか?)ってね。

 

アリはそういうのがない。今だけを生きているから。死んだ先っていうか、死ぬってことの意味をもしアリに聞けるなら、人間とはまったく全然違う考えを披露してくれるでしょうね。是非聞けるものなら、聞いてみたいです。

 

人なんて、何もなくなりゃぁしないですよね。全体の質量は変わらなかったですよね?そう学校で習ったはず、、うん。物質としてでもですし、心もでしょうし。世界と一つも関係しないで生きて死ぬなんて、出来ないですから。

 

自分が死んだあとに、自分の名前を残したい!!と、強く願望する人がいて、ほんとに立派で成り行きで名前が残る人もいれば、総理大臣になって、社会の教科書の一行に名前が掲載される人もいる。誰でも名前が残せるものではないですから、本当にすごいことなのは、分かりますが、名前なんて残らなくたって、ホントに素敵な人たちは、今も昔もたくさんたくさんいたはずです。そのお話の中には、くだらなくて気持ちの弱い人もやっぱり必要で。

 

だから、私は、社会の歴史に残る人に、なかなか興味がもてない。

(ただの暗記下手なことの言い訳と負け惜しみでしかない部分も大きいですがね。あはは。)

 

その名前を残した人を、支えた人たち、そんなことに振り回された人たち、そんなこととは関係なしに生きた人たち。そっちのたくさんの人の、雑多な想いの方が圧倒的に私を魅了します。

 

どんなにがんばったって、長い歴史の中では、教科書の一行に名前がのるかです。だから、立派かどうか?役にたったかどうか?有名かどうか?なんてのは、三の次で、自分が満足することをやれるのが、私は幸せだな〜と思います。私はこうして、多分はちゃめちゃだろう事を書いている今この瞬間が、とても楽しいです♪読んでくださっているだろう、あなたにお話しているつもりで楽しく話しかけています♪♪

 

その結果が、結局、社会に役に立ったりするのだから。社会の役にたちたい!ということを願うなら、それでやったらいいですし、そうでないなら、そんな風に考えなくてもいい。

 

そういう理屈を手放しして、かるーーーーい気持ちの自分でいることが、アリへの一歩かな〜〜〜なんて、思っていますよ。そして、心かるーく自分らしさを発揮してわーーーーー!って生きた人が、たくさんの人の心を打って、未来の誰かが伝記とか書いてくれるのかもしれませんよ(笑)。