アリと牛とわたし。痛みと孤独と喜び。

登美子の部屋へ、ようこそ♪

ひさーしぶりのゆっくりの夜なので、facebookじゃなくて、ずぶずぶ深いところに感じるままに、妄想と想像の旅に出ようと思います。一緒にもぐりたい方は、どうぞ。

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ちょっと前にこのニュースをラジオで聞きました。
「エビ・カニなどの甲殻類にも痛点があることが判明」

http://karapaia.livedoor.biz/archives/51388556.html

これ、どう思われます?
ちょっと分かりませんけど、多くの人は「そりゃそうでしょ。」っていう感想じゃないですか?違いますか?

私なんて、子どもの頃、家に送られてきたカニ(もちろん食用)を殺されるのがいやで、浴槽に天然のお塩入れて食塩水つくって、親に怒り泣きして、一日飼いましたもん。月曜日になって、学校から帰ってきたら、鍋になってましたけどね。そして、おいしくて、色々な意味で涙でましたもん。

当たり前だと思うんですよ。そんなこと。カニだって、痛いでしょう、そりゃ。

それを、科学的に実証するのが、科学者のお仕事だと思うので、そういう意味で実証された?というニュースなんだとは思いますが、それを実証しようと思うこと自体が不思議だな〜とも思います。子どもだって分かると思うんだけど。それを疑ってみるってことが、科学者なんだとしたら、一生科学者には縁がない・・まぁ現実問題なく恩恵ばかり受ける立場ですね。。。。


・・ちょっとカニからアリに移りますね。
昔mixiで書いたのですが、以前我が家のお風呂の壁に穴があいていて、まれに小さめのアリの大群が浴槽近辺に遊びにきてしまう・・っていう事がありまして。こんな私なので、出来るだけ、溺死は避けたいので必死にそーーーーっとお風呂に入るのですが、防げることと防げないことがあって。で、浴槽の縁の部分で数匹が溺死してしまうわけです。そのアリを他のアリがどうするのか、じーーーっと待っていると、溺死したアリを回収にくるのです。(また、溺死したかと思っていたアリさんが、むくっと起きて、よろよろ歩き始めるなんてこともあります。)

回収に来たアリが、仲間として運ぼうとしているのか、もはやエサ的な目線で回収しにきたのかは、私には分かりません。でも、両方だといいな〜と、私はそれを見て思いました。

カニもそうですが、アリも痛みはあると思うんですが、それは命を守るための危機感を察知するための痛み。それは、人間のような恐怖を伴うものではないように思うんです。自分が生き抜くことは、全体の中の命の一つとしての危機感であって、「私が!私の命を助けて!」というような感じがしない。(私の感じなので、みなさんもカニやアリになったつもりで考えてみられたらいいと思います。笑)我がなくて、さらに恐怖がない、痛みや死。反応としての痛み。そういう方向性なんじゃないのか?と思います。人間のようなエゴのない、タフでシンプルな小さい生き物たち。

アリやカニ以上の大きさや頭の良さ、我が出てくると、だんだんと痛みに恐怖が加わってくるのではないでしょうか?

・・さっき、アリのくだりで<回収に来たアリが、仲間として運ぼうとしているのか、もはやエサ的な目線で回収しにきたのか>と書きましたが、死んでしまった仲間をエサに出来るってのは、すばらしい事だと思います。もちろん人間には無理ですよ。多分ね。。戦場であまりの餓えのため、仲間を食べてしまったという悲しすぎるエピソードを聞いたことがありますが、そこまで追い込まれたって、食べない人も多いことでしょう。そのくらいに精神的に難しいことです。

だから、牛骨粉を牛に食べさせたって、すごい騒ぎになりましたけど、あれはひどい話しです。(そんな事言い出したら、そんな気持ちのある動物・・牛肉を食べるわたしがどうなの?って話しも、別にありますが、それはいったん置いておいて。)それで牛骨粉の入ったエサを食べさせられて病気になれるなんて、牛もたいしたものです。体はすごいし、やっぱりやっちゃぁあかんことなんですよ。

不思議ですね。
アリと牛。何が違うんでしょうねぇ?アリが死んだアリを食べるのは、私すばらしい!とか言っているのに、牛はひどいという。この気持ち、なんなんでしょう?

まぁ、アリにしたって、しゃべれるなら、ここに書いてあることに意義申し立てがあると思うので、すべては私の感覚でしかありません・・笑

あ、今yohooに聞いたら、こんな知恵袋が出てました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11434511
<アリは死ぬと仲間のアリに食べられるの?>
これによると、やはりアリは死んだ仲間のアリを食べるんですね。(死んでないのも殺しちゃうときもあるらしいけど。)

これを私は美しいと感じます。
この昆虫などの小さな生き物の、命の軽やかさと、全体のうちの一つとしての種の一体感。今生きていることだけに集中している有り様は、ほんとにキラキラして見えます。

そして、痛みに恐怖がエゴが加わっている大きめの動物たちも、またそれも愛おしい。

このアリの痛みから牛の痛みの感じ方もそうですが・・・世界は、0か1ではなく、例えば、0.01〜0.99の世界じゃないでしょうか?この地球上にある真っ白と真っ黒が稀である(人間のつごうで決めているだけ)ように、世界はグラデーションで出来ていて、すべては、マーブルとして、裏と表として存在しつづけているのでしょうね。


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さて「痛み」を感じる動物は、「寂しさ」「孤独感」も同じように比例して感じているように思います。

わたしは、美しい蝶々が飛んでいるのを見て、うらやましいな〜と思います。
先に言ったような美しさももちろんのこと、寂しそうでない、ただ今ここにあるという満足感を感じるからなんですね。

アリは寂しい・・って、体を休めながら思わないでしょうね。(アリさん色々違ってたらごめんね)牛は寂しいって思うんでしょうね。よく牛の親子の別れの悲しい話を聞くし、理解しているんでしょうね。

そして、人間は、とても寂しくて、孤独を感じる生き物ですね。

先日キミドリで呑んでいたら、この私のずぶずぶとした思考を共有してくれる、年配の常連のお客さまに出会いました。色々と楽しくお話していたのですが(私についておもしろく私のことを解説してらっしゃいましたw)、そのとき、「人間は孤独からは逃げられませんね。」って、まぁよく聞くことですがおっしゃってました。「家族があっても、子どもが横で寝ていても、それでも孤独なんですよね。」って。それは、彼だけじゃなく、私だけじゃなく、多くの人がそうおもうことです。

人は悲しい。
人は孤独。

何故か?

人はうれしい。
人は仲間を作る。
人は愛す。

だから、でしょうね。

強く強く喜びを得ることが出来るようになって、裏側に陰ができた。
そういうシンプルな話しだと思います。

強い悲しみを実感してしまった人は、
いつの日か、喜びもまた一層強くなり、敏感になるんじゃないでしょうか?
(逆のパターンは、暗くなるので、いったん思考停止。勝手でいいでしょうw)

その手前にある、柔らかな喜びは、少しの悲しみ・・そういう事なのかもしれません。平和そうで穏やかでいいですね。そんな生き方うらやましい・・w

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キミドリのそのおじさまとお話しているときに、わたしが相談していたのは、<人の進化と熟成の方向性>についてです。色々無駄にここ数年私は考えています。可能性としては、まだ一つしか知恵が絞れていないのですが、この話しを受けて、また一つ閃きました。

〜人間でありながら、昆虫の"今ここ"にあるだけの満足感と喜びに溢れて生きる。〜

ということです。それが出来る人になれたら、ほんとに幸せですよね。
今の人間のように、寂しさまみれにならない。孤独まみれならないで生きられる。

そういう方向性。素敵です。うん・・もうちょっと考えて、このいいとこ取りの考えをまとめてみます。いいとこ取りで理想論でいいんですよ。理想がなくては、理想を馬鹿にすることさえ出来ないのですから。

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さて、そろそろ寝ながら打っているこの体勢に腰に限界が来つつあるので、もうやめます。
最後に、その多分60才くらいだろう、お客さまの彼の現状の生きるコツは、「あるがままに」だそうです。

あるがままに。

そんな訳で、つらつらと、あるがままに、変わり者呼ばわり覚悟で書いてみました。

いかがでしたでしょうか?心優しい人は、私に感想を聞かせてくださいね。では〜〜♪


登美子