完璧なる結球・・おしゃべりなキャベツ

今、罪悪感にとらわれている。
馬鹿みたいだけど。

先日ポランさんから届いたキャベツは、今朝ビニール袋から出して見たら完璧なる結球だった。
結球具合だけでなく、その艶・大きさ・佇まいは、まさにキャベツが旬になったのだと、誰にでも分かるほどの美しさなのだ。

今朝、大急ぎで、山盛りキャベツのスープを作るつもりだった。
時間がなかった(まぁいつもないけれど)。鍋に水をはり、そのままブイヨンを投げ入れ、キャベツを大きなブロックでざく切りして入れ、他のにんじんやしいたけ、少しのソーセージも切れたらそのまま投入し、大きくブロックで切ったキャベツから水分が出てしんなりしてきたら、これまた旬のパセリのみじん切りにしたものを、塩胡椒の流れで投入し、あっという間においしいスープが出来上がるはずだった。

・・いや、結果的には、そうしたのだけれども。。。

完璧なる結球したキャベツを見たときに、今までも分かっていたことだったけど、改めて気付いてしまった。
キャベツとは、一枚一枚葉をめくりながら、本来使っていくものだ!・・ということを〜〜〜(あぁ〜〜〜)
どっからどうみても、切り込みを入れる、一部のスキがないのだ。
予定では、三分の一あたりで、ザックリと切るはずだった。いやだから、結果的に切っただけども。。。
私は、はっきりと自分は間違ったことをしている!と思いながら、とても申し訳ない気持ちになって、切ったのだ。

みんなだって、あの完璧なる結球のキャベツをみて、そのスキのなさに気付いてしまったならば、きっとそう思うに違いない!と言い切りたいほどだ。

でも、私は切った。だって、ブロックのキャベツを1人一つづつで、配膳したかったし、見た目だってその方がキレイだし。
結局おいしかったのだから、私は結果をだせたのだ。キャベツもおこっちゃいないだろうが。

おそろしや野菜。
それもうっすら気付いていたことなのだが。。
完璧なるものは、その使い方や、料理のされ方、今の食べ時や火の通され方まで、すべておしゃべりしてくるのだ。
おしゃべりなキャベツ。。

・・そういう訳で、私は満足なお腹にみたされながらも、その罪悪感に未だちょっと、捕らわれているのだ。
うーむ。今日はどうでもいい話しでした〜なんて終わらせられる気分ではなくて、真面目にそう感じちゃっているのだ。