失った時、自分に残るもの。

今月頭に制作で入った「朝霧JAM」。

今年も富士山に青い空と草原が美しかった。

 

今年のステージは、盛りだくさんでしたが、一番心に残ったのは、GOMAちゃんでした。

オーストラリアのディジュリデュー奏者です。

http://gomaweb.net/profile.html#2010

これの2009年末のこと、ここある通り、彼は自動車事故にあい、記憶を失ったのです。

 

それから3年。ずっと会いたかったのですが会えないままで、やっとステージ上の彼に会うことができました。元気そうでホッとしましたが、これまで、そして今も、GOMAちゃんも、そしてご家族も、それはそれは大変なことだと思います。

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GOMAちゃんは、まだ若かった頃我が家に泊まりにきたりして、長いお付き合いをさせていただいてます。

 

最後に、アースガーデンで出演してもらった時、楽屋で出演前のストレッチ中のGOMAちゃんと話しをしました。「登美子さんの顔見ると、当時に引き戻されるからいやだ〜」みたいな事言っていました。でも、その時、すばらしい演奏にも関わらず、アーティストとしての先々に、私の目から見ても、ちょっと煮詰まっているように感じました。

 

そして朝霧のステージで、軽やかに動き演奏する様子を見て、抜けたな〜〜と感じました。

観客もすごい興奮と盛り上がりで、1人よかったな〜とニヤニヤしてしまいました。

 

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彼は事故で記憶を失いました。

ご家族のこと、また、うちの連れ合いのことも覚えてくれていたようですが、どこまで記憶があって、ないのかは私には分かりません。彼自身にも分かりようがないのかもしれません。

 

ただ、彼の中でたくさんの記憶が失われた・・そう気付いたのか、分かったのか。。

でも・・残っていた音楽!自然にディジュが吹けた。

そして、あたらしく、絵 http://gomaweb.net/gallery.html が生まれた。

 

ディジュリデュが、「吹く」という、息を吐く吸うという、人間の根源にまつわる動きを必要とする楽器で本当によかったと思う。ギターより、ドラムより、より体感的だ。走るように、吹く。

 

彼が失った時に、残ったもの。家族。音楽。

それらが、残っていて、本当に本当によかった。

 

そして、記憶は失われたのか?というと、なんの根拠もないが、無くなってはいないと思う。

夢で小学校の時の、特に仲もよくなかった友達が突然登場するように、いつかきっと思い出される。記憶の、その引き出し自体はなくなっていないと信じている。

 

私のことも、覚えてくれているかどうかは、いい。

彼のどこかの引き出しには、会った人たちみんなが、どこかに入っているはずだ。

それ以前に、記憶を失ったりしなくても、人は平気で忘れる(実際には残っているけど)。

 

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わたしは・・・、そして、あなたは・・、

失った時、何が残るのだろうか?

 

ねぇ、・・何があなたに、残ると思いますか?

何があたなに、残っていたら、うれしいですか?

 

それは、暮らしの都合なんかじゃなくて。

あなたが、生きていて、一番うれしいって感じることって、何ですか?