自分の体に諦め気分にならない。道具じゃなくて、体も自分、心も自分っていう現実。

今朝、ふとんの中で心が醒めだした時、目を閉じたままで、(体調がイマイチな時は)自然に自分の体のチェックをする。
『昨日の風邪の頭痛は、ほとんどないな。よし。でも、まだ風邪の芯はのこってる。要注意。・・二の腕が筋肉痛。荷下ろしの時のだ。よし。・・内股がはってる、ダルイな。生理が近いということか?よし。』

今ふと思い出したが、昨晩自分の体の中を見る夢を見た。

内視鏡じゃなくて、なんかもっとすごい機械があって、私の内臓が筒抜け。
見てみてビックリ!ごちゃごちゃと込み入って、繊細で、臓器ごとにわかれているとは言え、病院の先生にしか分からないような複雑さでもって、なんとなく手を付けられないような気がしている自分の体。体液と血液の違いや、例えば母乳なんかも実は血液な訳だし、なにかごちゃごちゃとしていて。ましてや親からの遺伝もあって、皆同じでないことやクセがあることに、何か諦めのような気分もまじる。

だが、見てみたら、私の体の中は、なんだかとてもシンプルで、隙間がたくさんあって。まるで理科室に展示してある、内臓がボコボコとれる、標本(ひょうほん)君のもっと各内臓を小さくして、スケルトンな素材っぽさで出来ていて、上手く言えないけど、本当に拍子抜けしてしまった。

あまりのそのシンプルさに、しまったと思った。
「このシンプルな構造なら、私の無茶はすぐに反映されてしまうだろう。あぁごめん。もっと、大事にしてあげないといけなかったのね。こんなに筒抜けで、ダイレクトでは、無茶したら、体は大変だ。」と。

・・・なんででしょうねぇ。
自分の体なのに、その不思議さや、複雑さに、どこかお手上げな感じ。
どこかが悪い・・例えば、腰が痛いとか、肝臓が悪いだとか、何かパーツごとで考えるみたいな頭の回しかたでは、お医者さんにしかわかりえない、諦め感とでもいいましょうか。。複雑さとか言ってないで、トータルでまるごと自分を愛おしんでやれるのは、自分自身でしかないのに、手離れしている感じ。なんだか、すごく残念。

・・なにか同じことをつづければ、例えば、呑みすぎとか、パソコン使いすぎとか、何かが過ぎれば、当然そこがダメになる。じゃ、まるで無理が利かないか?というと、どうしても自分がやりたいことなら、アドレナリンがでて、補ってくれる気がしてる。

自分が気を回してやらないといけないんだよね。
気持ちが落ち込むと体にも影響するし、体が辛いと気持ちも落ち込むし。
やりたい事やって、なおかつ笑って人生やりたいなら、複雑さに手をあげず、当たり前の誠実さで、<やり過ぎに注意>・・というか、誰よりも自分が手放さないで見守ってあげないといけないと。

 

だからって、体中心にケアしながら、生きなさい!ということなんかじゃなく、体も自分だし、心も自分だって、そういう現実があるだけなのよね。。