「ALWAYS三丁目の夕日’64」強烈な個性の扱い方と核家族

『ALWAYS三丁目の夕日’64』を映画館で実家の母と一緒に観たのだが、次男がレンタルしてきてDVDで再度観た。やっぱり、とても好きな映画だな〜と思う。


こんな大ヒット作でもって心温まるものを、大好きというのは、正直あんまり趣味ではないが、いい話しだな〜と思う。仕方ない。そうなのだから。自分の善良さを、時に受け入れるしかないのだw

映画はよく観る方だと思うが、監督までにいたって評価をしたいと思ったことがないのだが、この監督、山崎貴さんは、すごいと思う。

映画の中での役者さんが、どの人も同じように素敵に生えていて、印象深いのだ。どの人のことも、どの弱さと致し方なさも、愛おしい気持ちにさせてくれる。少ししか出ない役者にも、心が行き届いている。

そして、私が好きなのは、ユーモラス??というか、普通に笑わせてくれる所が多くて、それが無理じゃない。生きているってのは、実は滑稽なことなのかもしれない。まったくもって、自分を見るようだ。私自身を追跡して、心の声をそのままに表現したら、色々な意味で随分滑稽な映画になるに違いないと思うし。

・・強烈な個性の扱い方。

登場人物のどの人も強烈な個性がある。
いわゆる、愚かな人や、毒のある人というのは、今の核家族の中で受け入れるのは、本当に難しいと思う。
マンションの一室で暮らしていたら、息がつまりそうな個性だ。
すぐに大声でどなったり、腕をあげる松田オートの社長を、マンションの一室に閉じこめたなら、ただのガミガミオヤジでしかない。でも、それを筒抜けの昭和の商店街で、近所の人たちが、冷静に・・いや、率直に扱ってくれる。

核家族の中にいれば、もしかしたら、社長のモノいいは彼の正義感や倫理感をもって、受け入れるのが困難なときも、家族が身と心を堅くして、受入ざるおえない状況に置かれるかもしれない。でも、ALWAYSでは、それに率直に周囲が暴力的ですぐ大声を張ることを指摘してくれるし、そのままの状態で受入てもくれている。心の風通しが良い。本当に夢のような世界だと思う。

本来は、みな個性的であって、仕方がないものだと思う。それが密室にあるか、解き放たれているかの扱われ方ひとつで、こうも違って見えるのかと感じる。

・・さて、ではなんで、昭和の大人たちは、あの暮らしを手放したのだろうか?
例えば、映画の登場人物は、個性的ではあっても、どこまでも善良な人柄だが、現実では、深くねたんだり、嫉妬したり、弱かったり、悪口を言う人とかがいるものだ。その人たちとも、筒抜けで暮らすことから逃れたい気持ちがあったのかもな・・と想像する。私は昭和は青年期までなので、あの映画は私が産まれる少し前の話で、あれに出てくる赤ちゃんが私と近い年となる。だから、例えばうちの両親の見てきた時代の話しということだが、実際母の近所の人への気遣いを娘の私も感じて育ったものだ。

・・・今、子育てについても、核家族化が問題視されているが、

母と子だけでは、本当に煮詰まるのだ。私なぞ、谷中の東京の下町も裏通りに、木のたらいを置いてホースの水をそそぎ、長男を昭和的に行水させて育てたもので、近所のおばちゃんとは、家こそ違っても、日中ちょこちょこ会ってというか、庭の花を大事にしてた前の家のおばちゃんは、よく外で水まきをしていたし、会うというよりは、向いのアパートの一室にいる私にも、始終気配を感じて暮らしていた。

銭湯につれていけば、3才で正座をして体を洗う長男は「下町のプリンス」としょうされて、母が着替えるあいだ、どのおばちゃんと過ごすのかなど、ちょっとした争いがあったくらいで、商店街をあるけば、私の手には「アイスでも買ってやって♪」とうれしそうに、500円玉をにぎらされたものだ。暑い日には、クリーニング屋の店先で、日中の大半をやり過ごしたりした。岐阜からでてきて、東京でありながらも、あの環境で育てられられたのは、今となってはいい思い出だし、よかったと思う。でも、若いからできたな。西日のさす暑すぎる風呂無しアパート。本当にあそこで過ごした日々は、まさに滑稽で心温まるものだったかもしれない。

そんな私・・こんな図太そうな私でも、母と子という2人では煮詰まって感の強い長男との暮らしに涙することが少なからずあったのだ。マンションの一室で外の気配も感じられずむきあってくらしたら、間違いなく不安に襲われ、煮詰まり、旦那の帰りが遅いことに、恨み節を一つどころか、私のように感の強い子でももったものなら、とうとうと涙をながしながら夫に訴える若いお母さんの姿が見えるようだ。

では、そのマンションにもう一部屋増やせたとして、どちらかの両親と同居したら、問題は解消するかというと、やはりそうではないように感じる。少し人の輪が広がるだけで、同じマンションの一室に閉じこめられれば、また別の面倒さが勃発しそうだ。

面倒と言ってしまえば仕方がないが、その人と人とのありようは、どんな風に暮らしても逃れられるものではない。これはよい!という解決策はないが、高層マンションと高い塀は、やはり好みではない。人の気配を感じられなくて、孤独にさせられる。

今、山奥にすんでいて、家と家とが離れているから、まぁとは言え、大家さんが畑仕事をやりにきたり、通りが一本の沢沿いの道だから、行き来する間にみんなに会うのだが。でも、今は人に出会わなくても、目の前の山、大きく広がる空、静けさ、水の音、虫の声が、孤独感をただの孤独感ではなく、ただ<人というのは、もともと孤独なものであるのだよ。>・・と言った風に、当たり前の孤独感を包み込んでくれるような、安心感がある。

ナイフを振り回す人を生み出してしまうような現代で、ますます人と人が隔離されそうな世の中になりつつあるが、出来ることなら、人の暮らしの気配を感じて、これからも生きていたいと思う。

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コメント: 2
  • #1

    FJM (木曜日, 09 8月 2012 13:07)

    とみこさん、ステキな文章をありがとうございます。
    人の気配、感じながら生活したいです。

  • #2

    登美子 (金曜日, 10 8月 2012 08:50)

    ありがとうございます。照れるね。
    人の気配、愛おしいですよね。。。