自分と世界の接点でぐるぐるぐる〜

仕事やっていると、あっちこっちで正論顔の意見が飛び交いませんか?

そうでもない?

 

私のような、個性の強い方々を周りに仕事をしていると、あっちこっちでいろんな種類の個性的な正論顔の意見が飛び交います。

 

比較的、常識的な正論が通るかと思いきや、

所詮変わったことをしているものですから、その正論が通ることばっかりでもなくて。

ご迷惑をかけたり、気にしたり、そりゃまぁワタワタすることが多いです。

 

・・それに比べて、夫婦のこととなると、大人であれば、あんまりヨソ様のご夫婦にあーだこーだ言わないものです。もちろんその周りの友人たちは、どちらかの愚痴を聞けば

「それは、けしからん!」(なみへいさんかっ?)と言う人もいるでしょうけど。

 

夫婦だと、何が正しいとかではないんですよね。

お互いで無理がなければいいんです。

すごい汚部屋で暮らしていようとも、2人ともが汚いのが気にならないなら、問題になりようがありませんものね。持論・・俺論を通しても2人だったらあり得る、他人様では分からないバランスさえとれていれば、それでいいんですよ。

 

ただね、どっちかが無理していたとなったら、夫婦でも、会社でも、友達でも問題です。

大抵我慢強い人間の方が、後々面倒くさい。自分もそうだからよく分かる。

 

私の感覚では、上からモノを言ったり、上手く口先で丸め込んだりするような人とか、声も態度も威圧感もでかいとか(私か・・;?)、そういう人が、以前だったら最後まで通るような世界だったと思うんですよ。でも、もう最近は、だんだんそうじゃなくなっている気がしています。最後まで、それがまかり通らない。

 

結局、無理もはじけて、外に現れて、オオワラワ。そんな時代になった気がします。

 

自分の都合に合わせようと意図している人は(本気なら別)、いい思いが出来なくなってきている。我慢している人は、結果自分でぶちまけてしまう。

 

なーーーんか、そんな時代だと、私は感じています。

 

私も我慢しがちなので、それは気をつけないといけません。でも、ハラには抱えないタイプなので、割とこの時代生きやすいなと思っているが、買いかぶり過ぎだろうか?

 

相手も尊重して、自分も尊重して、声を荒げないで、意見は静かに口に出したいものです。

そこで、ノルかソルかを、各自が判断するしかないのだ。

そういうスタイルが、これからの大道になるんだと思う。

周りの人には静かだが、連れ合い相手だと、どうしても感情的になる私も、肝に銘じつつ。。。

 

・・さて、例の汚部屋夫婦の、今日はゴミ出しの日です。

本人たちは、それなりに気をつけているつもりなのでしょうが、同じアパートのキチンとさんから、ゴミの出し方について苦情がきました。でも、汚部屋夫婦にしてみれば、それでも気遣っているのですから、その神経質さに、尋常ではない!と判断します。

 

さて、どうする?

 

キチンとさんに諦めてもらうのか?

汚部屋夫婦が、改めるのか?

折衷案が探せるのか?

どちらかが、そこからいなくなるのか?

無視するのか?

 

自分の小さな世界とさらに大きな世界との接点にあたる部分。

そこに調和が見いだされる所にしか、人って長居できないんですよね。

 

正論と正論。

 

その時にやくにたつのが、なんでゴミの日を決めたり、種類を分けたりしているかってこと。

やっていることを軸に見据えると、分かってくることもあるだろうし。

おもしろいのは、キチンとさんが、なにもかもキチンとさんか?というと、実は、こっそり森に粗大ゴミを放棄していたりするかもしれないのが、世界。。なんともなんともです。

 

正論と正論。言い分と言い分。

 

接点のさらに接点の、究極のその一点で繰り広げられる人間模様。

パズルとパズルがぴったり合うみたいに、個性的な形にぴったりなのは、結局相手側も個性的な形しかないのだろうけど。

 

お互いに学び合って、素敵なパズルの絵ができるのを、ひけ腰でなく、前向きに楽しみたい。

怖がらないで、率直に、向き合うのだ。

ライオンに喰われるわけじゃないしさ。

 

パズルが完成した、その絵を心に描いて・・・♪