「人の好みは、しょせん、人の好み」

うちの駅前の大通り沿いに、赤提灯のぶらさがったラーメン屋がある。

車を運転しながら眺める分には、

ボロいが雰囲気があって一度行ってみようかな〜という感じの店。

 

昨年夏、我が家に居候していた男性が、夜なにやら興奮して帰ってきた。

「登美子さん、あの駅の近くの、赤提灯のラーメン屋行ったことありますか?」

・・ううん。どうしたの?

「ひっどいまずいラーメンで、あんなまずいラーメン食べたことないですよ。

しかも、ゴキブリ3匹ウロウロして、たまに飛ぶんで、おちおち味わってる余裕も

ありませんでした。ありゃぁ、ひどい。」

 

食いしん坊の連れ合いのN氏も、まずい・・と言っていたし、

私は、彼のその報告を聞いて、絶対あの店には行くまい!!!と決めた。

というか、行きたくないと思った。

 

ところが昨日チラシをもっていったヨガ教室の素敵な女性の先生2人が、

新たなチラシの置き場として薦めてくださったのが、その例のラーメン屋。

 

それが、もう大絶賛!!!

店の汚さもすごいけど、ともかくおいしい。2日続けて行くこともあるそうで、

ともかく、親父さんの作る料理は、基本おいしいらしい。

 

私にとっては、どちらを信じていいのやら、困惑も極限である。

ただ、素敵な女性の先生方は、ヨガ教室でカフェもやってらっしゃる。

う〜〜〜〜〜ん。。行くべきか、行かざるべきか。

きっといつか好奇心に負けてチャレンジしちゃうけど、

とりあえずは、夏のゴキ時期は、さけよう。うん、そうしよう。

 

それで、改めてはっきり感じた事は、、

所詮人の好みなんて、やっぱり人の好みでしかないという事だ。

 

うちの次男は、ソーメンが世の中で一番好きだそうだが

長男は、ソーメンの存在意義が分からないらしい。

 

今の居候のNTさんは、メロンは食べ応えのある、堅めのが好きだし、

長男は大道の甘みたっぷりの完熟が好き。

 

(しつこい)世の中のハムスターは、苺が好物らしいが、

うちのリリーは、あの甘酸っぱい香りで、体が固まってしまうくらいに嫌い。

 

 

勘のいい方は私が何を言いたいかお気づきだろうが、

食べ物の好みだけでなく、人生全般にまつわるモノ全て、

人の好みなんて、しょせん人の好みでしかないのだ。

 

実は私、数年前まで、家族や気心の知れた人の前以外では、

「おいしい〜〜!!」と言わなかった。というか、言えなかった。

何故かと言えば、自分のおいしい基準を相手に押しつける気がして、気が引けたからだ。

それに、自分がおいしいモノが、他人が内心でマズイと思われているのなら、なおイヤだし。

 

現実的には、もちろん私も皆さんも、自分の好みが他人の好みと違うことを理解している。

 

そうなのだ。違うのだ。

似ている人はいるだろうし、「食」にまつわるプロの方なら、

おいしさというモノについて、「圧倒的なおいしさ」の基準をお持ちかもしれない。

 

でも、「圧倒的なおいしさ」や「圧倒的な美」や「圧倒的な善」とかあるとしても、

自分がどう感じるかは、本人次第で、自分自身でさえも、選択できない部分でもある。

 

それが、感じる・・という事だ。

 

結局、私は、みんなが違うと改めて意識的に分かった数年前からは、

おいしいと感じるものを食べている時には、

自然と「おいしい〜〜っ!」というようになった。

他人に押しつける訳でなく、感嘆句として。

 

うちの次男は、私のご飯を食べながら、1人うなりながら言う。

「うめぇ〜〜〜!!」

 

そうだ。それでいいのだ。