『スプーンで空へ・・震災への想い』

震災への想いを、やっと書くことが出来ました。

 

『スプーンで空へ・・震災への想い』

 

手の小指の爪が剥がれて、ずきずき脈打つ、痛みだろうか。
お腹を下して、脂汗。
吐いても吐いても止まぬ苦しさか。

いや、違う。
自分の行いを振り返ることが出来る。
普段の行いが悪いのか!などと愚痴も言える。

ならば、別の男に、彼女をとられた悔しさか。
天変地異にも似ていると、恋のことをよく言うじゃないか。

いや、でも、違う。生きている。

ならば、ならば、
不意に我が子を自殺でうしなった、苦しさだろうか。
そうなのだろうか。
まだしも、自分自身を呪える分だけ、救いがあるのか?

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あの晴れた午後。
宇宙に浮かんでいるはずの、青い星にある、小さな島が揺れた。
外側から星を、大きな人差し指でつん、とつつかれたのではない。
星がうずいたのだ。それとも、身震いだったのか。

仙台市石巻。
被災地に炊き出しと物資の支援に行った人が言っていた。
残った多くの人が、家族を失っていると。

意外だったのが、
皆、声をあらげたり、け落とし、物を奪いあうのではなく、
心静かに見えたと。


心静かに見えたと聞いて、
私の心に浮かぶのは、
どこまで続いているのか分からない、果ての見えない湖。
その湖の深い水の底。。。

ある人は、木の椅子に姿勢良く座り、
ただ何をみるでもなく、前をむいている。
ある人は、横になり、体を小さく丸めている。
ある人は、膝をかかえて、顔をうずめて、しゃがんでる。

皆、湖の底で、今日とか明日とか未来とか関係なく、
自分の今の心と一緒に、沈んでいる。

時に、怒りみなぎり、目から熱い水が落ちることもあろうが、
またたくまに、心の湖にとけていく。

「なぜ、あなたなの?」

「なぜ、わたしではないの?」

「なぜ、こんな目に?」



私に出来ることは、なんだろう。
目の前の子ども達は、朝となれば「ご飯!」とさえずり、
今日は雨だからと家にいれば、「遊んでちょうだい!」と叫ぶ。

食器を洗いながら、蛇口から出てくる水を見つめ、
この水は、大丈夫だろうか?と不安になる。
この雨は?この風は?この空気は?と、見えない放射能に、おびえながら。

そんな私に出来ることは、なんだろう。
未来という時間を、感じる暮らしが出来ている
そんな私に出来ることは、なんだろう。



流しで洗った、ティースプーンをひとつ見つめて思った。
このスプーンで、湖の水を一杯づつ、救いだし、空に返そう。

被災地に行き、スコップで、ドロを掻き出すことは出来なくても、
この台所で、この場所で、
スプーンを握り、湖の水をスプーン一杯づつ、救いだし、空に返そう。

朝になったら、ご飯をつくり、笑顔で「おはよう!」と子ども達に言おう。
4月になったら、子どもと手をつなぎ、桜の花びら散るのをみて、
言葉にならない言葉を心に咲かせよう。

うれしいことをやってもらったら、ありがとう。
いやなことをされたら、「いやだったのよ」と、言う強さ。
いけないことしちゃったら、ごめんなさい。
人にされて嫌なことは、しちゃいけません!

母親だって、ただの人間。
子どもがいるから、なんとか、母親なのだ。
当たり前に大事なことを、当たり前に自分で出来るだけ出来るように。
当たり前のことを、子どもにつたえながら、自分を育てながら。

そうして、湖の水をスプーンで一杯づつ、救いだし、空に返そう。


忘れない。
忘れない。
私の残りの人生の間、ずっと。
忘れない。
忘れない。
男たちが、もし社会にやっきになっとしても、ずっと。

そうして、湖の水を一杯づつ、救いだし、空に返そう。


今ある命を愛そう。
これから来る命を愛そう。
これから先、延々と続くだろう命を愛そう。

強さや賢さや見た目ではなく、
一人一人の子を、ひとつひとつの命として、ただ愛するのだ。


これから子どもを産むだろう、女性たちに、勇気を!
それを見守る、すでに母親である、私たちに、勇気を!

そうして、湖の水をスプーンで一杯づつ、救いだし、空に返すんだ。

 

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本当に、ごめんなさい。

天国に登っていった、たくさんのひとたちは、

誰かのママであり、誰かのおじいちゃんであり、誰かの孫であり、

誰かの・・かわいい、かわいい、本当にかわいい子であったはずなのに。

 

一人一人でなく、たんさんのうちの一人一人にしてしまって、

本当にごめんなさい。

 

できるだけ、私の想像の中の、出来るだけ、一人一人の人、

ひとつひとつの魂に、できるだけ丁寧に、ご冥福をお祈りします。

 

忘れません。